夏の日記① オルガンについて、ピアノの記憶

なにか書きたいな、と思って。

とっても個人的な記憶として、文を書いてみようと思う。

なるべくなら、なんの色もつけずに
ただ、いまここにあるものについて。


昨日はオルガンを弾かせてもらった。
オルガンを弾くのはもう8年くらいぶり。
懐かしすぎてくらくらする。
おみどうの感じも、静けさも。
まあもう足鍵盤どころか、手鍵盤もおぼつかない状態。
上手に、というか、今度はだれかのために弾けるといいなと思う。

世界にさしだせるものがほしかった。

というのはきっと変な言い方だけど。
自分のなかのグシャッとしたものをこえて、
「世界にさしだせるものがほしかった」と思う。
今はあまりにも下手だけど。
今度は、自分 でない、なにか のために。
弾けるといいなと思う。


そういえば、以前働いてた大学で
夏休みに教室にもぐりこんでピアノを弾いてた。
汗だくになりながら。
空の青さや雲を見上げながら。
あるいは海の底みたいな木々の間に揺れながら。


その教室棟のつきあたりには
壊れたピアノが置かれていた。
窓からの光をうけて、とっても静かに。
古めかしい木のピアノ、壊れて鳴らない音もあるし調律もされてない、少しチェンバロじみた音色で鳴るピアノだった。

窓枠には沈黙をふちどるみたいにびっしりと蔦が生えていた。
ヤモリの手みたいな吸盤のついた蔦で、見るたびになんとなく感心するくらいだった。
夏のてのひらの獰猛さ、生命力みたいなものに。

光のなかで干からびたみたいな、
風化して置き忘れられたみたいなピアノ。

実際にはそのピアノに触れることはほとんどなかったけど、
たくさん練習させてもらったピアノより生々しく、印象深く、たまに思い出す。
はっとするほど強く。
光のなか、深い沈黙のなかに、しんとあったピアノ。


ピアノ下手だし、いつも気持ちだけで走っちゃう。
もう少しちゃんと練習しないと。


減らないものがからだのなかにあって、
ずっとそのためになにかするしかない、みたいな感じだった。
ただ泣いたり怒ったりできたらいいんだけど
ただ泣いたり怒ったりするには、あまりにもいろんなものがそこにあって。
私じゃ手が届きようもないものがあって。
仕方ないなって思った。
仕方ないから引き受けた過剰なものが、
からだから減らない。
ずっと重い、痛い。


ひゃー、自分って面倒くさい。

まあそんな面倒くさい自分を整理するためにも、しばらく文でも書いてみようかなっと。
今日はこれから海に行きます。
お気に入りの場所があって、木の間からひかる海を見てるのが至福なんです。
鳴り続ける潮騒と、涼しい風と。
たまに本を読みながら、ただただぼうっとする。